昭和最後の日
今から30年前。
小渕さんが「新しい元号は『へいせい』であります。」と宣言した昭和最後の日。
小学6年生だった私はとっさに何か昭和の物を残さなければいけない!
と思い、あたりを見渡して学習机の上にあった星の砂のビンを手に取り無造作に水道の水を入れて「昭和の水」とマジックで書き添えた。
数週間もすると昭和の水は、蒸発によって量が減り、ほこりのような変な物体が混じった不衛生な水に変わってしまっていたので、ぺっと捨ててしまった。
大切な水はなくなってしまったけれども、平成の最後になった今でも思い出として残っている。
平成最後にやりたいこと
平成最後にしたいこと、なんて大それたことは何もないんですが、このTweetを見て一つできました。
平成最後の冬に、今までやってみたかった乗り方をやっとできた。
平成が終わる前でよかった。 pic.twitter.com/vzZP4pVu2Y— CR埼京線 (@shining_ray48) January 12, 2019
これ実は私の家のすぐそば、にある平成駅を映したツイート。
これを見た瞬間、「平成という町はこんな町だよ!」となんだか書きたくなりました。
平成に住んで6年ほどですが、「なぜ平成という場所が出来たのか?」その素晴らしい歴史をみなさんにお伝えします。
平成のアクセス
熊本市中心地から車で10分ほどの南に向かったところに平成は位置します。
JR熊本駅から豊肥本線で1駅のところに平成駅があります。
平成1丁〜3丁目まであって、1と2丁目は中央区・南区、3丁目は中央区と区の中間になっています。
つまり平成は、熊本市のちょっと南のほう。
平成の歴史
この平成中央公園には、名のないタワーがあって周りに噴水(今は事故防止のため水は出ていない。)があります。
そして周りにはいくつかの石碑があり、名のないタワーを囲っています。
この石碑で平成の歴史を知ることができます。
平成は区画整理によって出来た
要約すると
・昭和55年に7つの町の権利者の区画整理組合が出来て13年の歳月を要した
・風土や生活習慣から生まれた伝統文化を継承するのが私たちの責務
・情報化の現代でも文化と文明の調和の取れた「まち」こそ理想の都市像である
・環境は人をつくる その環境も人がつくる を理念として事業を進めてきた
・地域一帯を平成ニュータウンと命名する
とあります。
つまり平成と名前がつけられた頃は、平成に変わっていたと推測されます。(ここ確認してない。)新しく元号ついたからそれにしちゃおうか? という話が出たのかわかりませんが平成という名前はとても好き。
でも平成ニュータウンとは誰からも聞いたことはありません。私たちはこの場所のことをただの「平成」と呼んでいます。
また別の石碑には区画整理の時代背景や当時の様子が書かれています。
・土地権利者455名(換地処分時695名)筆数1515(土地の数)
・農村地区の宅地化が無計画に進んだ
・平成地区は平坦な農地で道路は狭く不規則だった
・田園風景を大切に調和の取れたまちづくりと商業ゾーンの形成
・農地集合化によって花き団地が造形され”花のまち”として継承
花きとは、切り花のことでここ平成では、カーネーションやトルコギキョウなどがハウスや畑で栽培されています。
平成は元々田んぼの多い土地だった
平成になる前はほとんどの土地が田んぼと畑ばかりでした。
我が家の土地も元々「田」でした。そのため地震対策として大きな杭を打ってもらったのですがこれをしていなかったら熊本地震で崩れていたかも。。
現在の平成はどんなところ?
「どこ住んどっと?(どこに住んでいるの?)」と聞かれ、平成と答えると
「よかとこ住んどるね〜(いいところに住んでいるね)」と言われます。
区画整理によって出来た街並みは道路が広く住宅地としても人気があります。
ショッピングセンターがいくつもあって静か。子育てファミリーも多く、静かで子育てもしやすい平和な土地です。
簡単な説明で何も得るものもなかったかもしれませんが平成という場所を知っってもらえるとうれしいです。
今日は平成の公園には花見客でいっぱいでした。
平成を残したよ
昭和の水を残そうとした昭和最後の日の31年前の私に伝えたい。
今度は平成を残したよ、と。
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